『ブログ』という概念に囚われすぎていないだろうか。
私は過去さんざんブログの習慣化に失敗してきた。
今ならわかるけどたぶんブログを書くのがそんなに好きじゃない。
ただ、本当に文章を書くのが嫌いな人よりは
まだいくらか書けるかなぁというのと、
ただ単にやめる決断ができないだけ。
ドメインとサーバーを解約するのはもったいない気がする。
WordPressブログは無料でできる遊びではない。
それでも、ブログを持っていないよりは持っていた方がいい。
携帯や動画サービスの契約なんかとはワケが違う。
それはなんとなくわかる。
ただのもったいないおばけで運営してきたこのブログも
ついに2年半経ってしまった。
目に見える結果はほとんど無い。
良い記事を書きたいがゆえに書けないジレンマ
『ブログに日記を書くだけではもったいない』
『せっかく記事を書くなら良い記事を書きたい』
『作りこんで内容のある記事を書けばPVが増える』
『PVが上がれば収益が上がる』
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欲望ばかりが膨れあがり、その結果
記事が書けない、記事が増えない
という現実だけが残った。
収益を上げるためには戦略を考えることが必要で
ネタ探しをして、画像や素材を集めてきて、
寝る間を惜しんで記事を書いて、
読まれるタイトルを考えて、
一番読まれやすい時間にSNSで拡散して…。
明確で強固な目標を持っていれば
上記は「通り道」に過ぎないが、
目標もなく行き当たりばったりの私には
大変な重荷だった。
もう、ブログ、めんどくさい。
良い記事どころか、まともな記事が書けなくなった。
正直、ブログでもnoteでもどっちでもいい。
TwitterとYouTubeがあれば生きていける。
インスタとFacebookは見る専で充分。
完全に受け身になり
発信したいこともよくわからなくなった。
この文章を書いている今も、
「こんなことブログに書いて一体どうしたいんだろう」
って思いながら書いている。
まずは「自分はどう生きたいか」を決める
私は私のために生きているのであって、
ブログのために生きているのではない。
世間ではブロガーがキラキラしてて、いいなぁって思う。
けど、そのまま真似しただけでは同じにはなれない。
なぜなら、ブロガーにとってブログはあくまで「手段」だから。
私が同じことをしようと思うと、それは「目的」になる。
「目的」があるから「手段」が決まるわけで、
ブログを「目的」にしてもブロガーと同じ結果を出せるわけがない。
ブロガーには揺るがない信念がある。
だから、漠然とブログを持ってしまった
人生ポヤンポヤンの私なんかは
まず「生きる目的」「信念」を持つ必要がある。
ハラが決まってないからブレるのだ。
あくまでも、
自分は自分のために生きていて
この人生をもっと楽しみたいからブログを持った。
その順番を忘れちゃいけない。
ブログが先に来るとおかしくなる。
「信念」をどうやって決めればいいのか
ある日突然、ポッと信念が見つかればいいが、
漫然と生きているだけじゃ多分見つからない。
ただ、生活において
「ちょっとこだわりたい部分」はいくつかあって
そういうちょっとした「ここだけは譲れない」気持ちを
ひとつにまとめて束ねていったら
いずれ信念につながるような、そんな気がしている。
めちゃくちゃ気に入ってる食器しか使わない、とか。
洗剤ひとつ、スポンジひとつ取っても
自分の中の定番が見つかるまでは探すようにしてる、とか。
そんな小さなことからでも、
いずれ見いだせる何かはあるんじゃないか。
信念がなくてもブログは運営できる
でも、別に信念がなくたって
ブログをそれなりに運営する方法はあると思う。
なので、いつか「もう一度ブログをがんばろう」と思った時のために
確実に一段ずつ上がれそうな現実的な方法を考えてみた。
やるかやらないかは別の話。
まずは、毎日更新の習慣化。
何度も挫折しているので、ハイハイまたかって感じ。
書くなら、記事は1行でいいかな。
あくまで「ブログを書く抵抗をなくす」ことにフォーカスする。
おもしろさの追求は一切しない。
1行ならツイッターで書いた方が早いと思えば、
1行日記をツイートしたあとに
ツイート埋め込みをブログでわざわざやる。
それは必ずやる。
「WordPressにログインする」という作業を含むようにする。
必ずブログの管理画面を経由すること。
将来を見据えて、ブログを管理している意識を持つため。
毎日全力で書けるなら全力で書いた方がいいに決まってるけど、
いつか訪れる「どうしてもがんばれない日」に高確率で破綻する。
大きな夢を見てるときって、1日1行とか地味なことに見向きもしない。
たった1行しか書かないなんてばかばかしいし、何の得にもならなそう。
でも、
毎日書こうと思って初めて週3〜4日書けるようになるもんだし、
初めから目標を週3〜4日にすると週1〜2日になるもんなんだ。
そういうもんなんだ。
ばかばかしいことをばかにしちゃいけない。
「毎日こんなつまらないブログを書いていてもしょうがないなぁ」
という感想を持てるレベルに到達するのが、
私には一番現実的かなぁと思う。
「”毎日”こんな記事書いていてもしょうがない」と思えたら、
その時点でようやく”毎日”書けるベースが出来上がったことになる。
ブログを書くことへの抵抗は無くなっているだろう。
あくまで予想。
ブログ自体もちゃんと毎日息をしているから、
いちおうは生き物として生命活動はできている。
そこまできたら、初めて内容のおもしろさを考え始める。
その頃には精神的余裕もできている。はず。
今の私ではこのあたりまでしか想像できない。
ただ、毎日更新のベースができていれば、
ブログ指南書などの内容もすんなり実践しやすいのかな。
習慣化できなくて悩んでいる人はものすごく多いように感じるし、
ブログ指南書を読む前に、習慣力を身につけておくといいと思う。
習慣化の本なら圧倒的に「小さな習慣」。
この本のおかげで私はずいぶん救われた。
別にブログじゃなくてもいい
ただ、ブログってあくまで他人が見るものなので、
あんまり公にして書きたくないこともある。
ブログだと素直に自分の気持ちをさらけ出せない。
誰にでも人に見せたくない感情ってあると思う。
私はそう思うことが多かったので、
今は手書きの日記を書くようにしている。
iPad ProとApple Pencilで毎日書いている。
これが案外続いていて、もう丸2ヶ月経った。
しょうもない落書きの絵を描いたり
気が向いたら色を塗ってみたり
「もう何もしたくない・・・」と何日も書き続けてみたり。
自分の気持ちをそのまま書き出すことに慣れる。
今までぼんやりとしたままだった感情を言語化できると
思考を自分の外に出せるようになる。
自分の頭の中に余白ができる。
そうすると少し気持ちがラクになる。
これも「どう生きたいか」に通ずるのだけど、
ブログに書けそうだなと思えば書けばいいし、
ブログで公開するのがつらいと少しでも感じるなら
オフラインで、紙でもタブレットにでも書けばいいと思う。
誰にも見せない。見せなくていい。
見ていいのは少し未来の自分だけ。
ブログに書いて一挙両得しようと思っていたけど
書けないことが多すぎてダメだった。
恥ずかしい、つらいって思って
ずっと向き合ってこなかった感情がめちゃくちゃ多かった。
だから何度も何度も失敗した。
今だって全然解決したわけじゃないけど、
2ヶ月手書きで日記を書いたことで
多少マシになったような感覚はある。
今年の元旦に手書きの日記を書こうと思わなかったら
今こうやって文章を書くことはなかっただろうし、
その先に待っている未来も何もないだろう。
ブログを持ってしまったがために
「ブログじゃなきゃ」と囚われてしまって
もがいている人がいたとしたら
一回考えるのをやめちゃってもアリだと思う。
また帰ってきたくなってもいいように、
場所だけ残しておけばいい。
大事なのは、自分の人生をどう生きたいか。
もし手書きの日記を書くなら、
罫線ノートよりは、自由に書ける無地の自由帳とかがいいと思う。
文字にとらわれず、絵を描いたり自由にレイアウトできるほうがいい。
無印良品の4コマノートや、
ほぼ日手帳などもいいかも。
私は漫画を描く用のソフト「Clip Studio for iPad」で
4コマ漫画用のテンプレートを使って1日1コマ書いている。
1日1コマなど、自分の無理ない範囲のルールを
最初に決めておくと案外良い。
私は決まりがないとすぐ迷う人間だから、
迷わなくて済むように最初にルールを決めておいた。
そしたらうまくいった。
いつも同じところでつまづいているような気がするなら
アプローチを変えてみるのもいいかもしれない。
いつだってブログはやり直せる。
「私はどう生きたいか」
考えつつここまで書いてきたけど、やっぱりまだわからない。
こうやって、ブログを模索するための場所として使うのも、
それはそれでアリなのかな。
どうあがいても、自分からは逃げられないから
つらくても、ちゃんと向き合わないとね。